Aさん82歳女性。
2月に腰を痛めて来院されました。
Aさんとはもうだいぶ長い付き合いで、何かしらお身体を痛めると来院してくださいます。
約1年ぶりの来院でしたが、今回は寝返りや臥位からの起き上がり、立つ、歩くといったことも大変な様子で、けっこう重症な感じでした。
腰痛でいらっしゃるご高齢の方の中には、実は腰椎の圧迫骨折をしていたなんてことも少なくなく、Aさんもそういったことがないかを注意深く診ながら施術を行っていきました。
痛みも徐々に和らいでいったので、幸い圧迫骨折ではなさそうで、先ほど書いたような日常生活動作もスムーズに行えるようになりましたが、Aさん自身も今回の腰痛が今まで生きてきた中で1番辛く、また年齢も80歳を越え、日常における様々な場面で老いを実感していたということもあって、このまま痛みが良くならないのではないかと、一時はとても落ち込んだそうです。
Aさんは息子さん家族と同居しているのですが、息子さん夫婦は共働きで忙しく、これまで掃除、洗濯、食事の支度など、またお孫さんがまだ小さかった頃も、仕事が休めないお嫁さんにかわってお孫さんのお世話をするなど、これまでずっと家族を支えてきました。
それがAさんにとって生き甲斐でもあるようでしたが、今回はひどく腰を痛めてしまったため、そういった家事の一切ができなくなってしまいました。
なのでこれまでずっとAさんがやってきた家事全般を、家族で分担してやることになりました。
腰の痛みが強かった当初は、家事を分担してやってくれている家族に対して、「悪いね。ありがとね。」と、感謝の気持ちを伝えていたそうです。
しかし、次第に腰の痛みも良くなるにつれて、自分が何もしなくても自分の衣類が洗濯され、部屋が掃除され、ご飯が出てくることに「ありがとう」と言っている自分に対して違和感を感じるようになりました。
そして、ついに「こんなのはいやだ!」とAさんは思うようになったそうです。
このAさんの話を聞いて、僕はとあるお話を思い出しました。
武田邦彦先生が40代の頃に書いたエッセイに「老婆の一時間」というものがあります。
Aさんと同じように息子家族と同居している高齢女性の葛藤を描いたお話なのですが、おばあちゃんが家事などをやろうとすると、ことあるごとに家族から「おばあちゃんは縁側でお茶でも飲んでゆっくりしてて」と言われてしまいます。
家族としては、おばあちゃんを思う優しさから、おばあちゃんを気遣ってそう言っているのだろうということが推測されます。
おばあちゃんとしてもありがたいと思う反面、自分ではまだまだ元気にいろいろなことができると思っているし、家族のためにやってあげたいという気持ちはあるものの、家族の親切心を無下(むげ)にすることもできず、おとなしく家族の意向に従って縁側に1人腰かけて、忙しそうに往来する人々を眺めながら自分はもう誰からも必要とされなくなってしまったのではないかという悲しみにも似た感情を抱きつつ、そういった様々な感情のジレンマと葛藤しながら、おばあちゃんは自らの老いを実感します。
日々、いろいろな方を施術していて、僕自身感じることがあります。
それは、「これをやらなきゃ!」とか「こうしたい!」という意思というか、意欲といったものと、老化の速度は確実に反比例しているのではないかということです。
要するに日々やるべきことややりたいことがあって、心身ともに快活に過ごしている人はいつまでも若々しい人が多く、反対に何事にも興味関心がなく、いつも無気力でただ生きているだけというような人は実年齢よりも肉体年齢が老化しているのではないかと感じるということです。
これは、精神構造分析法における目的設定にも少し通ずることでもあり、やはり人間にとって「やるべきこと」や「やりたいこと」があるというのは、健康に生きる上でなくてはならない要素の一つであると思います。
3月に入り、Aさんは腰の調子もだいぶ良くなり、少しずつこれまでのように家事を行えるようになってきました。
「やっぱりありがとうと言うよりも、ありがとうって言われるほうが私の性に合ってるわ!わっはっは!」と、生き生きとお話ししてくださり、いつもの豪快な笑い声を聞かせてくれたAさんでしたが、一方で「今回こっぴどく腰を痛めたことで、これまですべて私がやってきた家事ができなくなったということにも意味があるように思う」とのことでした。
「家族の中で私が1番早く死んじまうんだから、それまでに家族に少しずつでも家事を覚えてもらわないと困るじゃんね。今回こっぴどく腰を痛めたことで、お母さんにいつまでも頼ってたらいけんと思ったかもしれん。そういったことでもいい薬になったと思うさ。」とのこと。
たしかに、Aさんがいなくなった後は、当たり前ですがこれまでAさんがやってきた家のことは残された家族がやっていかなければならず、いずれ訪れるであろうその時のことを考えて、もしかしたらAさんは表面的にではなく自覚・認識することのない深層心理的な意味合いにおいて、自ら腰を痛めて動けなくするということによって、家族に自分たちでやらなきゃという自覚を無自覚的に促そうとしたのかもしれません。
「そうは言ってもまだまだ私はみんなのご飯をがんばって作り続けるけどね」とも話してくれたAさん。
これからもまた、末永く元気に悪態をつきながらも😅家族を支え続けるAさんでいていただけるよう、微力ながら健康のお手伝いをさせていただきます。
山梨県甲府市の整骨・整体 くぼた整骨院
