今日は3月19日。
昨日からお彼岸ということで、今日はお墓参りに行ってきました。
今自分が健康で、ある程度自分の好きなように仕事もでき、日々の生活を送ることができるのも、昔から命を繋いできてくれたご先祖様のおかげだと思います。
また、くぼた整骨院の土地はもともとは田んぼだったところで、先祖代々耕しながら守ってきた土地を今は僕がありがたく使わせてもらっているんですよね。
くぼた整骨院を開院したての頃なんかは、僕の祖父母を知る人たちに「おじいちゃんとおばあちゃんはここでよく働いてただよ」なんて話を聞かせてもらったりしていました。
これだけの広い土地を買うことなんて到底できないことなので、
つくづくありがたいことだなと、あらためて実感します。
じいちゃんばあちゃん、ご先祖様ありがとうございます。
ご先祖様が残してくれた大切な土地をありがたく使わせてもらいながら、これからまた自分自身も精進を続けていきます。
感謝🙏
かわいい子には旅をさせよ
厳しい経験を積むほど成長するため、かわいい子ほど敢えて辛い思いをさせよという意。昔の旅は辛いものだったことから。
Wiktionaryより
昔から馴染みのある格言?ことわざ?かと思います。
たしかに子どもを甘やかして育てると、わがままに育ってしまったり、人の気持ちがわからなかったり、またさまざまなストレスにさらされた時なども、そのストレスに負けてしまうような弱い人間になってしまうかもしれません。
親が子を甘やかしたり、さまざまな場面やいろんなことがらにおいて親が口を挟んだり、あるいは手出ししすぎたりすること、言い換えると「過保護」であったり「過干渉」であったりすると、健全な子どもの成長を阻害する要因ともなりえます。
実は施術中に、これらのことを引用しながら自分自身の身体を自分の子どもであるように例えて患者さんにお伝えすることがよくあります。
たとえば、腰や股関節だったり膝関節だったりに痛みや不調があるケース。
患者さんの中には「痛いから」と患部に負担がかからないようにして、ほとんど動かさなかったり、あるいは変にかばって「安静第一」と思っている人が少なくありません。
たしかに急性期でというのなら話は別で、安静にしなければならないこともあるとは思いますが、しかしながら大事にしすぎたことで筋肉も萎縮して健側と患側とで明らかに筋肉の太さに違いが現れてしまい、それが相まって患部の不安定性が顕著となり、さらに痛みやすくさせてしまっているなんてこともけっこうあります。
僕らの筋肉は自然なサポーターであり、筋肉が強ければ骨や関節は安定し、身体への負担もかかりにくくなります。
筋肉は使わなければすぐに落ちます。
しかし筋肉がつくのには時間もかかるしすぐには変化が見られないこともあるため、地道な努力が必要になりますが、まさに「かわいい子には旅をさせよ」のように厳しい経験を積む=筋肉を鍛えることで、たくましい筋肉となり、しっかりと身体を支えてくれるようになります。
また、自分の症状に対して「過干渉」になりすぎている人も、自らで問題(症状)をこじらせてしまっていることも多いです。
なんかよくわからんけど今日は手首痛いなとか、お腹痛いなとか、日によっても身体のどこかに痛みや不調が出ることって誰しもが経験したことがあるかと思います。
たしかにそれらの症状が長く続いたりひどくなるなど、あるいは日常生活に支障が出る場合なんかはちゃんと対処したほうがいいと思いますが、ちょこっとした身体の変化に敏感に反応する人は、その症状や患部にばかり意識が集中してかえって痛みや不調を感じやすくなっている傾向があると思います。
「正座してたら足が痛いんです」とか、「朝起きた時に手がしびれるんです」とか、日中も続くのかと聞けば「今は大丈夫なんだけどその時はなるんです!」て。
「そんなん僕もしょっちゅうなるよー😳」て感じです。
また、たとえば施術前と施術後で痛みの確認をしてもらうことってありますが、他覚的に見て明らかにさっきより可動域が広がっていたり、動きもスムーズになっていたりする場合でも、「痛みを探す」人っていて、「日常生活でそんな動作しないじゃん😅」ていう格好して「まだこれ痛いです!」て訴えてきたりしますが、「痛みや不調にフォーカスしすぎないほうが良いですよ」とお伝えします。
痛みや不調に意識が集中しすぎる傾向にある人は、専門用語で「確認動作」といって痛みを探すように動かして痛みを確認することがあり、実はそれが繰り返しの負担となっていたり、あるいは痛みの刺激が頻回に脳に伝わることで脳はずっと「患部はまだ痛んでいる」という認識のままであり、それゆえ痛みの閾値も低いままとなって「いつまでも痛い」という悪循環に繋がっていることが考えられます。
なので、ちょっとした痛みや不調があったとしても、あれやこれやしすぎるのではなく、「放っておくこと」てけっこう大切なことだったりします。
親が子に対して過干渉になりすぎると、子ども心としては「うるせーな!クソ親!ほっとけや!」てなるでしょ?
で、子どもはますますグレて言うこと聞かなくなるみたいな感じでしょうか。
自分の身体であっても同様に言える部分が多くあるように思います。
人間生きていれば何かしら身体の不具合が起きるのはある程度当たり前なことであり、その前提で自分自身の身体を過保護にしない、干渉しすぎないことは心身を健やかに保つ上でも大切なことかと思います。
山梨県甲府市の整骨・整体 くぼた整骨院