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『生き方と死生観について』

「先生は健診とか人間ドック行ってる?」てよく聞かれます。

「まったく行ってません。」と言うと、かならずと言っていいほど「早期発見、早期治療が肝心だよ~行ったほうがいいよ~」的なことを言われます。

そんな時、「そうですね~。早期発見早期治療は大事ですね~。」とにこやかに応対していますが、実際はそんなことは微塵も思っておりません😅

たしかに「健診や人間ドックでガンが見つかったけど、早期手術できたから今元気でいられる」的な話も、患者さん本人から聞くこともありますし、そういった時は別に他意はなく「早く見つかってよかったですね」と思いますが、現時点で僕自身とくに不調はないですし、むしろ調子がいいと思っているくらいなので、健診や人間ドックの必要性を感じないわけですが、「今すごく調子がいいと思っていたとしても、重大な病気が隠れているかもしれないから健診や人間ドックをやるんだよ」と言われたりもします。

重々承知しているつもりでおりますが、健康に対する考え方に人それぞれ違いがあるのは当たり前だと思います。

誤解を恐れずに言うと、心のどこかに僕自身「いつ死んでもいい」というような感覚を持ち合わせており、また長生きをしたいという気持ちもなく、だから健診や人間ドックでわざわざ病気を見つけるという考えにならないのだと思います。

もしも今何かしらの病気があったとして、それが進行してもう手遅れになった時に気がついたとしても、それはそれでしょうがないのかなと思います。

こう言うと、「玄米食べたり水素茶飲んだり水素吸ったりよもぎ蒸しやって健康に気をつかっているじゃないか!」と言われそうですね。

たしかに「健康とは何か」とか、「日々健康でいるためにはどうすべきか?」とかといったことは、いつも人一倍考えていると思います。

ですが僕が食べるものに気をつかったり水素吸ったりよもぎ蒸ししたりするのは、それをしていると調子がいいからであり、コンディションが悪い状態で日々を過ごしたくないからです。

また、よく「予防医療の一貫で健診や人間ドックを定期的に受けましょう」みたいなことを見たり聞いたりしますが、そもそも予防ってそういうことじゃないと思いますし、本来の意味での病気の予防とは日々の食事や生活習慣でしていくことではないですか?

食や生活習慣がよろしくない状態で、健診や人間ドックを受けて病気の有無を知って一喜一憂したり、また健診や人間ドックの直前だけお酒を控えたり食べる量をセーブしたりっていう話を聞いたりしますが、はたしてそれって意味あるのかな?って思ってしまいます。

僕自身の日々の食事や生活習慣が完璧などとはけっして思っていません。

お酒は体質的に飲めませんが、たばこは吸ってますし、また今やさまざまな社会毒にあふれている世の中で生きている以上はそういったものを避けるのは不可能なので、これから先いろんな不調が出てくるのかもしれません。

しかし自分で選んで生きてきた人生ですし、また自分たち人間が作り出した毒で病気になるのだからある意味で自業自得であり、先ほども書いたように、しょうがないんじゃないかなとも思います。

それと、「いつ死んでもいい」というのは、命を大事にしていないというわけではないです。

ただ、人間という生き物は地球や人間以外の動物や植物にとっては害悪な存在でしかなく、人間の手で汚されまくっている地球は人間さえいなければ空気も水も大地もきれいになり、本来の自然豊かな星となり、また人間さえいなければ間違いなく動物や植物は生きやすくなると思います。

人間なんていうクソヤローな生き物は、一刻も早く滅んじゃったほうが地球のため、動植物たちのためになるよねって思うこともあり、それが「いつ死んでもいい」といった感覚になる所以です。

人間だって動物であり、誰もが遅かれ早かれいずれは死にますが、地球を汚し、動植物たちの命を奪うことで生きているという自覚を僕自身も持ちながら、その時がくるまでご先祖様が代々受け継いできてくれた命を大切に使わせてもらおうと思います。

山梨県甲府市の整骨・整体 くぼた整骨院