今年も梅雨の季節がやってまいりました。
最近は雨の日も多く、梅雨時期にはやはりちゃんと雨が降るんだなーと実感します。
梅雨入りしたかしないかくらいの頃から、毎年恒例のカエルの合唱が聞こえてくるようになり、梅雨真っ只中の今がピークなのかなと思うほど最近は夜の静けさの中に大合唱が響き渡っています。
僕は山梨に生まれ育ち、子どもの頃から6月〜夏にかけて夜になるとカエルの合唱が聞こえてくるのが当たり前のこととしてあったので、いわゆる「そういうもん」的な感覚で「うるさくて不快」というよりもカエルが大声で合唱すればするほど「今年もカエルたちは元気だ😆」と、季節感が感じられてむしろ心地よささえ覚えます。
ですが先日、内海先生のツイッターを見ていたらこんな画像が。
誰が書いているのかはわかりませんが、僕の感覚と真逆の感覚に正直驚かされました。
たしかに先ほど書いたように僕は子どもの頃から慣れ親しんできた、いわば風物詩的な感覚でカエルの合唱を捉えているから不快には感じないのかもしれませんし、反対に昔から聞き慣れていない人にとってはうるさく感じてしまうのかもしれませんが、だからと言って田んぼの主に対策を講じてくれって、どんだけ傲慢なんだよって感じです。
まさに自分さえ良ければ他は関係ねぇ的な自分中心主義の💩野郎です。
が、残念ながら今の日本にはこういった自己中心的で自分の気に食わないこと(人)に対して、平気で攻撃したり差別したり排除する精神性の人が多いのではないかと思います。
そして、とくにコロナ騒動で一気に表面化したように感じます。
僕なんかは自営業で、ある程度好き勝手に自分のしたいようにいろいろなことができるので、そこまで大変な思いはしていないかもしれませんが、とくに会社など組織に属している人や学校に通う子供たちのなかには、なんだか生きにくい世の中になっちまったなと、日々感じながら生活を送っている人も少なくないのではないかと思います。
みなさんは養老孟司っていう人をご存知でしょうか?
養老先生は日本の医学者・解剖学者なのですが、「バカの壁」ていう著書が大ベストセラーになったことでも有名かと思います。
で、YouTubeに養老先生の講演会やいろんな人との対談、インタビューなどをまとめた?YouTubeチャンネルがあり、最近好きでよく聞いているのですが、そのなかで「自分が生きている世界のなかで、人間関係の占める割合が多ければ多いほど不幸せになりうる」といった内容のお話をされていたんですね。
現代人にとって圧倒的に不足しているのが「自然」であり、日本にもともとあった花鳥風月を愛でる精神性が失われていること、人間も自然の一部であることを忘れて自然から遠ざかることで、自分と他人といった人間関係だけの世界で生きていくことの危うさを養老先生は指摘しておられました。
なるほどって思います。
そういえば、うちのまわりにはいろんな野鳥たちが飛んできます。
こないだなんかはキジがいました。
あっ!キジだ!と、もっと近くで見たいと思って近づこうとしたら逃げられました。
動物たちの生き方はいたってシンプルです。
身の危険を感じたら逃げます。
動物にとっては当たり前の行動です。
人間だって動物です。
逃げるが勝ちっていうことわざ?もあるように、病気や不調になるくらいなら、さっさと逃げたほうがいいこともあると思います。
また、『あずき&よもぎ日記vol.16/生老病死と無為自然』でも書きましたが、ゴーイングマイウェイ的なあずきとよもぎを見ていると、いろいろなことがらに対して、あれやこれやと考えたり悩んでいることが、馬鹿らしく思えてくることが多々あります。
日々の生活のなかで、なんだか生きにくいなーと感じていたら、自然に目を向ける、自然と触れることで、自分の直面している問題や悩んでいることがらが、取るに足らないことに思えてくるなんてこともあるかもしれません。
このブログを書いていたら、今日もカエルの合唱が始まりました。
よし👍
カエルたちは、今日も、元気だ😊
山梨県甲府市の整骨・整体 くぼた整骨院