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『諸法無我と自分の存在意義』

時の流れは早いもので、もう7月ですね。

今年も半分終わってしまいました。

最近は30℃を越える日も増え、梅雨のジメジメも相まって蒸し暑い日が続いています。

愛犬パグのあずきと愛猫ハチワレのよもぎのために、我が家は日中にエアコンを入れる日が続いております。

暑さに弱いあずきはクーラーの効いたリビングにいることが多いですが、

よもぎはクーラーが嫌いなのか、窓を全開にしている寝室でまったりしています。

僕もクーラーってあんまり好きではなく、患者さんたちとお話ししていても「わしゃクーラー嫌いじゃ」ていう人も少なくないです。

たしかに暑さが厳しければそうも言っていられないので使いますが、クーラーによる冷えによって身体の不調が起きやすくなることも多く、「この症状はクーラー(の冷え)が原因かも」と思われる患者さんたちがここ最近増えているように思います。

これからますます暑くなり、クーラーを入れないわけにはいかなくなりますが、みなさまもクーラーによる冷えにはくれぐれもお気をつけくださいませ。

自分にとって仕事をすることの意味

日々施術をしていると、患者さんから「助けてもらった」とか「ありがとう」などとったお言葉をいただくこともあり、大変ありがたく思います。

でも実は助けられているのは患者さんではなく僕のほうなんです。

は?て感じがもしれませんが、本当にそう思います。

たまに、「何のために仕事しているのだろう?」みたいな感覚になることがあるんですよね。

人間生きていれば日によって気分が乗らないとか当たり前にあることかと思います。

しかしそういった時に逆に患者さんからエネルギーをもらって自分が元気になれることがとても多いのです。

大袈裟にいうと、人のお役に立つことで自分自身の存在価値を見出しているのだと思います。

人間誰しも認められたいとか褒められたいとかといった、いわゆる承認欲求があり、患者さんから「ありがとう」って言われて承認欲求が満たされることで、自分が肯定されたという無意識的な意識がはたらいているのだと思います。

痛みや不調が良くなったことで、やりたいことができるようになって積極的に人生を楽しまれている患者さんたちが、うれしそうにお話してくださるのを聞くことで、かえってこちらが前向きなエネルギーをもらうことができ、それが日々の活力となり、また生きていくための糧となるのだと思います。

仏教用語に「諸法無我(しょほうむが)」という言葉があります。

諸法無我とは「世の中のすべてのものごとはつながりあっていて個として独立しているものは一つもない」ということです。

人間は誰も一人では生きていくことはできず、さまざまな人や環境(の恩恵)によって今の自分は存在しています。

あらためて考えてみると当たり前のことのように思いますが、しかしながら日々忙しく生活しているとそういった意識はすっかり忘れさられ、一人で勝手に生きているというような感覚になってしまっている人も少なくないのではないかと思います。

自分自身が生きていられるのはさまざまな恩恵の上に成り立っているにもかかわらず、そういったことを忘れ、さまざまな人やもの、境遇に対して感謝する気持ちを失うと、自己中心的で傲慢な人間になってしまいます。

すると、なんでも自分の思い通りにならないとすぐに怒り出したり、あるいは悲観したりして心の平穏を保つことが難しくなります。

そうなると日々の生活のなかで「生きにくさ」を強く感じてしまうことが多くなるのは必然なことかと思います。

僕自身これからもみなさまがやりたいことを存分にできるよう、引き続き微力ながらお手伝いをさせていただき、また常に驕ることなく感謝を忘れず、日々精進を続けていきたいと思います。

と、つらつらと文章を書いてきて一通り文章を見直してみましたが、

「きれいごと言ってんじゃねー!承認欲求の塊で共依存の偽善者💩セラピストが!」と、罵倒される内海先生の姿が目に浮かんできました😅

山梨県甲府市の整骨・整体 くぼた整骨院