今日は9月20日。
今日からお彼岸ですね。
歳を重ねるごとに1日1日が早く感じられるようになるとはよく言われますが、本当にその通りだなと最近とくに実感します。
もうだいぶ前の話になりますが、秋のお彼岸の時期に3日間かけて行われる茨城県石岡市の常陸国総社宮例大祭という、通称「石岡のおまつり」に数年間参加しておりました。
というのも、妻の実家は石岡市で酒屋を営んでおり、石岡のおまつりでは店の前に生ビールサーバーを置き、水を張って氷をザクザク入れたアイスボックスに缶ビールや缶チューハイ、缶ジュースやラムネなどを入れ、焼き鳥やフランクフルトを焼いたりしてそれらを売っていたので、妻と知り合ってから秋のお彼岸時期の3連休は、土曜日の仕事が終わってから毎年行ってお手伝いをしておりました。
いずれ義理の兄となるSさんから生ビールサーバーの使い方や焼き鳥の焼き方などをいろいろと教えてもらい、「いらっしゃいませ〜♪」と言いながら接客するというのは初めてのことで、最初のうちはぎこちなかったように思いますが、慣れてくるとこれが意外と楽しく、毎年お祭りに行ってお手伝いをすることが、自分としても楽しみになっていました。
異説あるそうですが、石岡のおまつりはなんでも関東三大祭りの一つに数えられるそうで、なるほどたしかに僕がこれまで行ったことのあるお祭りのなかで最も賑やかで活気があり、3日間をかけて合計30台以上の神輿や山車(だし)、幌獅子が市内を巡行するのですが、歌を歌い、お囃子を奏で、「わっしょい」の掛け声をかけながら神輿を担ぎ、山車を引く人たちの勢いに最初の頃は圧倒されるほどでした。
そんな中で、妻の家族と一緒に生ビールや焼き鳥を売り、昼は隣の蕎麦屋さんのカツ丼や差し入れてもらった屋台のケバブを食べたり、夜は妻の実家でお義父さんやお義母さんが作る料理をいただき、また翌日は朝から売り子をしてというのは、僕にとっては日常から離れた非日常であり、それがとても新鮮でほんの数日間ではありますが、妻の故郷で妻の家族と生活を共にするという、普段とは違う場所、違う人たち、違うことをやるというのは、何かこう普段得られないようなエネルギーをもらえる気がして、すると自分の中の気の巡りが良くなるというか、エネルギー循環が促されることで新たな活力が湧いてくるようで、その感覚がとても心地よく、そういったことがあるから、お祭りの手伝いに行くことが楽しみになっていたのかもしれません。
また、非日常の新鮮さを感じながらも、同時に心のどこかで懐かしさも感じていたのが当時は不思議でしたが、今となってみるともしかしたら僕自身のカルマや周波数の法則によるものが少なからず影響しているのかなと、そんなことを思ったりします。
『受け継がれる周波数と祖父の話vol.1』や『受け継がれる周波数と祖父の話vol.2』で書いたように、僕の母方の一族は古くから葡萄農家で、現在も葡萄を作りながらワイナリーを営んでおり、もしかしたら昔から地域のお祭りの時なんかは、家族総出で葡萄酒や食事を祭り客に振る舞いながら、毎年の恒例行事を楽しんでいたのかもしれないなと、そういった一族の周波数が僕にも受け継がれているから、どこかノスタルジックな懐かしさを覚えるのかもしれず、要するに僕自身の心のどこかに一族と同じ状況を再現したいという潜在的な欲求や無自覚の精神性が存在しているから、わざと酒屋の娘と知り合い、一族と同じフラクタルな構図を作ったのかもしれません。
僕が初めてお祭りのお手伝いに行ったのは、もうかれこれ約20年前で、ちょうど今の仕事の業界に入り始めたくらいの頃でした。
当時の僕は自分で言うのもなんですが、まじ使えないポンコツで、よく先輩や上司に怒られて、凹んでいたわけなんですが、そんな時にお祭りのお手伝いに来ると、先ほども書いたように心身ともに元気になり、またがんばろう♪という気持ちが出てきたんですよね。
それから何年間くらいお祭りのお手伝いに行っていたのか、今はもう忘れてしまいましたが、お義父さんも徐々に高齢となり、数年前に店舗を畳んでからは秋のお彼岸の3連休に妻の実家に行くこともなくなりました。
しかし、行かなくなってだいぶ経った今でも、この時期になると祭りの想い出が甦ってくるのは、しんどかった時に助けられたという意識が僕の中に強くあるからなのかもしれないなと、お墓参りの道すがら、ふとそんなことを思いました。
山梨県甲府市の整骨・整体 くぼた整骨院
