055-234-5455

『受け継がれる周波数と祖父の話vol.2』

11月2日(日)

万物は固有の周波数を持ち、近しい周波数同士は同じ形をとったり、あるいは引き寄せあったりするといった周波数の法則(フラクタル理論)によって、一族や家系の持つ周波数は代々継承され、したがって現代に生きる自分も例外ではなく、それらの影響を受けているということは、前回のブログ『受け継がれる周波数と祖父の話vol.1』『業(カルマ)や因縁を考察する〜一族の罪の伝承と因果応報〜/内海式精神構造分析法(内海式根本療法)』でも書いてきました。

僕自身も母方の祖父の影響を大きく受けていることがわかってから、見たことも会ったこともなければ顔もわからない祖父の墓参りに行きたいと思うようになりました。

そして、Yさんの助言などによって祖父の生家がわかり、またそこは代々続くワイナリーであることもわかりました。

現在そのワイナリーは僕のはとこにあたるHさんが社長を務めており、H社長の計らいで生前の祖父を知るSさん(母のいとこにあたる)からお話を伺えることになり、甲州市勝沼に母とおば(母の姉)の3人で行ってきました。

挨拶もそこそこに、本題の祖父の話。

祖父の生家はもともと大きなブドウ農家で、お手伝いさんも住み込みでいるような、まさに「名家」といった家柄で祖父は生まれ育ちました。

祖父はSさん曰く、まさに「破天荒」だったらしいです😅

Sさんはこの日のために祖父の写真も持ってきてくれました。

↑祖父です。

なんか想像してた感じと違う😆というか、僕は漠然と僕と似たような感じの人なのかなと思っておりましたが、写真に写る祖父はなんかがっちりしている感じで、顔つきもだいぶ男らしいですね。

一族の中で、自分と同じような系譜を持つご先祖様がいるかもしれないといった話はこれまでもしてきましたが、僕自身は近しい人では祖父なのかなと思っておりました。

詳しいことは書けませんが、僕が薬や薬害といったことに興味や関心がいくのは祖父の影響が強いのではないかということは前述しました。

それも戸籍を取得して祖父のことを知ることで、より一層その思いが強くなりました。

僕と祖父にはけっこう共通点というか、やはりフラクタルな事柄がいくつも見つかったんですね。

ここで僕と祖父のフラクタルな事柄をざっと挙げてみると、僕と祖父は次男同士であり、僕は8/24生まれの乙女座で祖父もまた8/28生まれの乙女座。僕も祖父も自分よりも年上の女性(祖母)と結婚していて、僕は大学の4年間を神奈川県の川崎市で過ごし、在学中はその大半を世田谷区でバイトしていて、祖父も母が生まれたばかりの頃は世田谷区に住んでおり、そして祖父が亡くなったのは川﨑でした。

また、祖父は教師をしていたということは母から聞いて知っておりましたが、僕も今の仕事は整骨院業であり、どちらも先生と呼ばれる立場というのも、やはりフラクタルであると言うことができるかもしれません。

そしてSさんの話によると、祖父は教師以外にもいろいろな仕事をする中で、不動産関係の仕事もしていたらしく、僕もまたほんの少しですが不動産関係の会社に勤めたことがあります。

こんな感じで僕と祖父との間にいくつもの共通したフラクタルな事柄が存在しているので、顔なんかも似ているんじゃなかろうかと勝手に考えていましたが、実際にはそんなことはなかったですね。

また、僕は太陽星座が乙女座で月星座は魚座であり、数秘術はソウルナンバーが4でライフパスナンバーは8、そして名前も窪んだ田んぼだし、さらに窪という字は女性器の隠語でもあるらしく、これらのことを踏まえても、またあらためて自分の性格や精神性などを考えてみても、僕はどうあがいても陰の要素満載の陰キャであり、僕の中に祖父のような「破天荒」という要素はほとんどないように思うので、ここも勝手に想像していた祖父像とは違っていました。

祖父について、Sさんは知る限りの情報を丁寧にお話ししてくださり、その中でも一族におけるフラクタルな事柄がいくつも存在することがわかりました。

今は音信不通になってしまっていて、所在等はわからないそうですが、母には腹違いの弟がいるそうで、その弟のお母さんとは婚姻関係はなかったそうですが、そのお母さんの名前と母の姉(僕のおば)がまったく同じ名前だったり、母の姉の夫と同じ名前の人が一族にいたり、さらに一族には教師や教授などの職業の人が非常に多いらしいです。

実は母もずっと小学校の教師をしておりました。

おばは学校の事務員をずっとやってきており、おばの2人の娘(僕のいとこ)もまた、現在2人とも教師をしています。

これらのフラクタルもまた、やはり一族が持つ周波数は代々受け継がれるということを如実に示しており、周波数の法則によって転写行為やコピー行動が無自覚的に表面化した結果であると言うことができます。

ちなみに、僕の父もずっと高校教師でした。

さらに僕とH社長の出身大学も同じでした。

もっと言うとSさんは現在、とある病院の事務長をなさっているのですが、以前は公益財団法人「柔道整復」研修試験財団にいらしたそうです(僕の持つ国家資格は柔道整復師です)。

こんな感じで挙げていけばキリがないのでこれくらいにしときます。

ということで、いよいよ祖父のお墓参りに。

生家からも歩いていけるくらいのところに祖父が眠るお墓はありました。

実はこのお墓、一度訪れてるんです。

戸籍から祖父の生家がわかり、漠然と生家から1番近いお寺に祖父のお墓があったりするんじゃなかろうかと、まったく何の根拠も確証もありませんでしたが、とりあえず行くだけ行って祖父のお墓を探してみようと、今年のお彼岸に訪れてみたんですね。

手ぶらでおじさんがお墓をうろうろしていたら確実に怪しまれるなと思い、ちゃんと花を用意して、水汲み?も持ちながら、それでもお墓参りに来ていた人たちからの「あのおっさんずっとうろうろしてない?」みたいな冷たい視線をひしひしと感じながらも周りの目など気にせずに「◯◯家(祖父の名字)の墓」を探してみたものの、残念ながら見つけることができず、そのまま帰りました。

祖父のお墓は墓石にちゃんと戒名が刻まれてはいるものの、お墓の前によくある「◯◯家の墓」という刻石がなかったから見つけられなかったみたいです。

前述したように、精神構造分析法を学び、そして自己分析をするために母から祖父のことを聞いて、僕は祖父の影響を受けているのだなということがわかってから、どうにか祖父のお墓参りができないものかとずっと考えていたので、祖父の墓前で手を合わせながら、「ようやく来れたよ」と心の中で祖父に話しかけた時はやはりなんだか感慨深く、目頭が少し熱くなりました。

おそらくSさんは、祖父の性格のことを抑え気味に「破天荒な」と話してくれたんだろうなぁと思います。

祖父の行動と結果から類推するに、たぶん祖父は相当なクソヤローだったんだろうなぁと孫ながらに思います。

が、それでも娘たち(母とおば)のことはずっと想っていたんだなと、これも詳しくは書きませんが、いろいろなことを考えてみると、「なるほどなー」と、いろいろと辻褄が合って納得するのと同時に、すべては自業自得だと思うけれども、しかしながら祖父の心情を推察すると相当苦しかっただろうなぁと思います。

はっきりしたことはわからないですが、たぶん祖父は誰にも看取られずにその生涯を終えたのではないかと思います。

祖父の人生は、世間一般的に見れば褒められたようなものではなかったかもしれませんが、しかしながら祖父がいなければ僕は生まれてこなかったわけで、祖父が命を繋いできてくれたことで僕はこの世に生を授かり、まあそれなりにいいことも経験しながらこれまで生きてこられたということは紛れもない事実であり、なのでどんなにクソヤローな祖父であっても、やはり自然とありがとうって思うし、あるいはもしかしたら晩年は自分がこれまでしてきたことに対して、後ろめたさを感じていたかもしれないし、そういった後悔や無念といった感情を抱えながら孤独に最後の時を迎えたのかもしれないと思うと、やはり孫の僕としては祖父に対する同情する気持ちも自然と起こってきます。

祖父の死因は大腸がんだったそうです。

そして、祖父は自分の様々な想いを娘たちや孫たちに伝えたかったから、あるいは自分の存在をわかってもらいたかったから、祖父と同じポジションで、同じ時期に生まれた孫の僕がそういった祖父の思念や周波数を受け継ぐようになり、だから僕は薬や薬害に興味を持つようになり、日頃から薬害で苦しむ人たちのお世話をしているんだと、そして薬害研究センター認定セラピストになったのだと、繰り返しになりますがこれらはすべて自業自得だけれども、自分の存在に気づいてほしい、あるいは自分と同じように苦しんでいる人たちの助けになってほしいという、祖父からのメッセージなんだろうと、勝手にそう思っています。

祖父は享年61歳でした。

祖父は死後、自身の遺体を献体として大学病院に提供したそうです。

これもまた、祖父自身に罪滅ぼしという気持ちがあったからなのかもしれません。

そんなわけで念願だった祖父のお墓参りも実現し、Sさんからも祖父のことや一族のことをいろいろと聞くことができ、また母とおばはともに70代なので、2人に冥土の土産も作れてよかったです😄

お忙しい中、このような機会を作っていただいたH社長とSさんに心より感謝申し上げます。

お墓参り後に祖父が育った?古民家の中まで入らせてもらい、

そこでもまたいろいろな話を聞かせていただき、ありがとうございました。

ちなみにこの古民家は来年リフォームしてカフェになるそうです。

オープンしたら、また来させてもらおうと思います。

ということで、前回から今回にかけて、長々と僕の祖父の話にお付き合いいただきありがとうございました。

そして、僕も執筆者として参加させてもらった「精神構造分析法教本」が出来上がったので、近々それを持ってまたお墓参りに行くので待っててね。

山梨県甲府市の整骨・整体 くぼた整骨院