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『健康が生きる目的になっていませんか?〜「自立モデル」と「依存モデル」〜/内海式精神構造分析法(内海式根本療法)』

物事にはすべて、原因があるから結果があり、したがって原因を解消しない限りは問題の根本は解決することはできません。

原因を解消しないまま対症療法的にその問題に対処するという行為は、臭いものに蓋をしている行為と何ら変わらず、それによって一時的には良くなったように見えたとしても、いずれまた問題が再燃したり、また新たな問題が生じてくることにつながっていきます。

しかしながら「医療化」が進んだ現代においては、けっして根本の原因には目を向けることはせず、ただ症状を消そうとして安易にモノや道具に頼り、目先の快楽を求めて病院ショッピングや代替療法ショッピングを繰り返したり、薬物やサプリメント中毒になっている人も多いのではないでしょうか。

一般的に常識レベルで考えても、それらの行為自体が病気や不調を治す方向に向かっているどころか自らで悪くしようとしているのではないかと思えるようなことも非常に多く、このようにけっして根本の原因には目を向けることはせず、自らの生活習慣さえも顧みることはせず、ただただ安易に目先の症状を消すことだけを考えて、モノや道具に依存しながらいつも不調を抱えていたり、病気になってもなかなか治らない人は「依存症=依存モデル」であり、反対になにかしらの問題が生じた時、起こった結果に対して自らで原因や根本を考えてその問題に対処できる人は、「自立モデル」であり、たとえば自立モデルにある人は、目先のしょぼい症状などは気にしないし気にならず、何かしらの症状が現れたとしても放っておいても知らないうちに治ってしまったり、そもそもが病気や不調になりにくいという特徴があります。

しかしながら、世の中にはアルコール中毒、薬物中毒、ギャンブル依存症、男・女依存、金依存、買い物中毒、地位や名誉中毒など、さまざまな依存症で溢れています。

まさしく人間の欲望=依存であり、また全人類は例外なく、誰もが何かに依存しながら生きており、人間=依存症であるとも言うことができます。

しかし、依存心とはもともと人間に備わっている本能の一部分であり、したがって依存心をなくしたり、消したりする事は絶対に無理ですが、依存する矛先を変えることはでき、それが依存モデルから自立モデルへの移行へとつながり、依存症克服の第一歩となります。

たとえば、いわゆる革命家と呼ばれる人たちは悪政を強いる体制側や権力者らに反発して革命を起こすことに命をかけていると言うことができます。

これは、言い換えると革命家は革命を起こすことに依存しているということであり、革命家ほど依存心が強い人はいないとも言うことができます

革命家とは革命を起こすことに強迫観念を抱き、それに向かって突き進んでいる究極の依存症であり、しかし、悪い意味で依存症と言われないのは、革命という言葉のイメージ通り、なにかしら大きな(高い)目標に向かって邁進しているからであり、したがってその人に対して「依存心が強い」とか、「依存症だ」などと言うことはなく、低評価になることはありません。

また、健康に対する考え方そのものが、「依存モデル」と「自立モデル」とで大きく異なります。

自立モデルの人はあくまでも健康は何か目的があって、その目的を達成するための手段であるのに対して、依存モデルの人は健康自体が目的になってしまっており、これは「目の前にある一直線の長い道」に例えて説明すると理解しやすいです。

目の前に一直線の長い道があります。

その道の遥か遠くに自分の目的地があるのですが、その目的地は死ぬまでにたどり着けないかもしれないというほど、果てしなく遠いところに存在します。

自立モデルの人というのは、ただその遠い目標に向かって自分でどんどん進んでいきます。

もしかしたら死ぬまでにたどり着けないかもしれないけれども、それでもがんばってなんとか辿り着きたいと思っているので、わき目も振らず、一心不乱にその道を突き進んでいくのですが、このように高い目標に自分の視点や意識が向かっている状態の時とは、その道を進む過程において取るに足らないような小さい問題が起こったとしても、そういった目先の些末な問題は気にならなくなります。

健康とは遠い目標に向かっていくための手段であり、その目標に向かってがんばって進んでいく時に健康であるほうが都合がいいから、だから健康状態を整えることが大切なのですが、現代人の多くは健康自体が目的になっているのが現状です。

したがって、できるだけ遠くに目標を設定して、そこに向かって自分でも無意識でも走っているような状態になれば、健康は手段となり、また遥か遠くを見据えてそこに集中しているから、目先や身近のしょぼいことに目を向ける暇はなくなり、人の評価とか周りの目とか体裁などはどうでもよくなるし、身体に起こる小さい症状も気にならなくなります。

人間は身体中にセンサーがあって、依存モデルにあればあるほど小さい症状に惑わされています。

依存モデルの人は、まさにヤク中をイメージするとわかりやすいかもしれません。

ヤク中の人は「目先」や「今」しか自覚できず、いつもぼーっとしています。

目先や今しか考えられない、目先の快楽や安楽、陶酔を求めたりするだけになっている人というのは、まさに「依存症」であり、目先や今にフォーカスしているから、遠くにあるものは認識できません。

すると身の回りの小さなこと、人の目や周囲の評価、体裁など、そういったどうでもいいことをいつも気にしたり、あるいは自分の身体に起こる小さな症状はすべて気になってしまいます。

依存モデル=依存症であればあるほど、身体のセンサーは敏感になり、疼痛閾値も下がることで身体のさまざまな箇所で痛みや不調を感じやすくなります。

そして、放っておいても自然と治るようなどうでもいいような症状に対しても、目先の症状が気になって安易に対症療法で消そうとし、また別の症状が現れたらまた気になって薬を使うなどしてしまうのですが、これは依存症の成れの果てであり、この状態はけっして好ましい状態とは言えません。

繰り返しになりますが、あくまでも健康は何か目標や目的を達成するための手段であって、けっして健康自体が目的にはなりません。

みなさんは健康自体が目的になっていませんか?

みなさんはなぜ健康を望むのですか?

そして、みなさんは健康という道具を使って死ぬまでにどんな目標を達成したいですか?

山梨県甲府市の整骨・整体 くぼた整骨院

内海式精神構造分析法