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『症状とはなにか?』

先週は早々から大雪に見舞われましたね。

火曜日は早起きして雪かきしなきゃと思い、いつもより少し早めに起きたのですが、すでに妻が雪かきをしており、だいぶがんばってくれたようで外に出てみると、もう僕がやらなくても良さそうな感じになっておりました。

ですが、まったく雪かきしなかったとなると、それはそれでばつが悪いので、とりあえずまだ手付かずのところの雪をかいたり、降り積もった雪の重さで倒れかかったドウダンツツジやザクロを救出したりと、遅れを取り戻すべくがんばっておりました。

が、起きがけで急に身体に負担をかけたからだと思いますが、左の背中を痛めました。

身体の動かし方によっては痛みで「うっ」と声がもれます。

呼吸しても痛い。

仕方なく、「すみません。背中痛めました。カイロ貼ってください。」と正直に白状して妻にカイロを貼ってもらいました。

ありがとございます🙇‍♂️

妻は優しいので「ほとんど何もしてないくせに背中痛めるとかほんと使えないな」などとはけっして言いませんが、僕を見る冷ややかな目がすべてを物語っているようで、その時の妻の表情が脳裏に焼きついて忘れることができません。

その後も妻にメタックスローションを塗ってもらったり、カイロを毎日貼ってもらったりして、おかげさまで背中の痛みは今はもうだいぶ和らいできました。

ありがとございます🙇‍♂️

患者さんたちも雪かきをして僕と同じ背中を痛めたり、腰や肩を痛めて来院される方も多く、やはり慣れないことをやると身体を痛めやすくなりますね。

今シーズンはもう雪は降らないでほしいなぁと思いますが、また大雪が降って雪かきする際にはみなさまも身体を痛めぬようくれぐれもお気をつけくださいませ。

症状とはなにか?

なんらかの問題(症状)が生じている時、対症療法によって症状を緩和させつつ、自らの自然治癒力で病気や不調を治していくというのは必要なことかと思います。

しかし、なんらかの原因によって引き起こされている症状に対して、原因を解消せずに漫然と対症療法を行うことは、一旦は症状が和らいだとしても、症状が長引いたり再燃したり、あるいはまた別の問題が生じてくることになりかねません。

たとえば発熱、下痢、嘔吐、炎症、咳、鼻水、痛み、皮膚の荒れなどの症状は、身体が細菌やウイルスなどの病原体と闘ったり、社会毒等を排除しようとしたり、あるいは身体を回復させようとしている現象です。

本来、これらの症状は身体の防御反応であり、簡単に消してはいけません。

たしかに身体の抵抗力や治癒力が悪い原因に負けだし、押されっぱなしになってしまっている状態、たとえば感染症などで免疫が病原体に負けて脱水やミネラル不足になり、意識障害が出ている時などは救急医学によって早急に症状を緩和させる必要があります。

また脳梗塞や心筋梗塞など、放っておいたら命の危険があるものや重篤な後遺症が残るかもしれない病態は可及的速やかな処置が必要であることは言うまでもありません。

しかしながら、世間一般でもなんらかの問題が生じた時は原因や理由があると考えてそれらを解消しようとしますが、現代の西洋医学では起こっている症状に対してそのまま病名が付けられるため、その症状自体を消せば良いという認識が生まれ、原因には目を向けずにさまざまな症状に対して対症療法のみが行われているのが現状であり、この考え方こそが医原病や薬害を生み出す根源となります。

そして、医療化が進んだ現代社会においては「常に何の不調もない状態が健康である」という認識のもと、「症状はなぜ起こっているのか?」ということは考えず、目先の安楽を求めて出ている症状をすぐに消そうとします。

しかし、身体に起こるさまざまな症状は自分自身のセンサーであり、自らの問題認識を教えるために現れてくれているのだから安易に消してはいけません。

原因に目を向けず、対症療法で安易に症状を消そうとするからかえって症状がこじれたり悪化したりして、これが薬害や医原病につながり、さらなる不健康をもたらすことにつながっていきます。

健康であるということは身体に何にも症状がないことではなく、「健康でない状態が人間として自然である」という医学不要論での内海先生の言葉のように、人間は常に不調を感じ、愚痴をこぼし、不調と付き合いながら生き、死んでいくのであって、「症状があるということ自体が生きている証明そのもの」なのだと思います。

山梨県甲府市の整骨・整体 くぼた整骨院